競馬から学ぶメディア・リテラシー

 ライブドア事件ライブドアショック)がまだまだ世間を賑わせている中で、競馬をやっている人は株にも少なからず興味があると思う。マス・メディアから流れてくる情報の中に、「堀江容疑者のせいで損をした」「金返せ」的な発言を随所で見かける。それについて一言二言論じたい。


 粉飾決算(ふんしょくけっさん)とは、株式会社などの法人において、決算を偽装し、真実を歪曲する行為。ほとんどの場合、赤字であることを隠し、黒字であるかのような決算を作成することとなり、取締役会、監査役会株主総会を騙し、会社の状態を隠蔽することである。


 当然の事ながら、証券取引の大前提として、こうした公に発信する情報は「真実」でなければならないのだが、その大前提が守られていなかったことが事件なのであり、それが法律に違反していた。事件直後には、「ライブドアという会社の経営方針や経営実態を見抜いている投資家は、危険な会社だとわかっていた」という有識者のインタビューやコメントが数多く見られた。


 ここで「投資」と「投機」に関して少しだけ補足をしておこう。『「投資」はプラスサムの世界で。プラスサムは中長期で成長があり、みんなが幸せになることが期待できるケースであり、「投機」は、売買に参加したうちの誰かが儲かれば、ほかの誰かが損をする(つまり、売買に参加している人の合計の損益がゼロ以下になる)ゼロサムの世界です。麻雀や競馬などのギャンブルなどはその典型です。』
やってみよう! 確定拠出年金で資産運用より引用)


 ここで詳しく述べたいのは、投資か投機かという話ではなく、競馬の世界にも大前提である『「常に勝利を目指すという姿勢」が貫かれているのかどうか』ということである。


 まずは、騎手の立場から見ていこう。騎手には日本中央競馬会競馬施行規程第95条において「騎手は、競走において、馬の全能力を発揮させなくてはならない」と定められている。また第126条・第1項において、公正かつ安全な競馬に対する注意義務が課されており、それに違反すれば、戒告等の処分を受け、最も重いものは騎乗停止等の処分が下される。
 この二つの規程、とりわけ後者の「公正」という部分に注目したい。公正ということは、どの騎手も等しく勝利を目指し、勝つことを目標として騎乗しなければならないと解釈できよう。それが「公正」な競馬を維持するための「大前提」である。


 しかしながら、わが国の競馬においては、今さら言うまでもないが、決勝戦手前(はるか手前の場合も多々ある)で腰を上げる行為や、ゴール前まで馬を追わない行為においては厳罰の対象として課されておらず、2002年皐月賞タニノギムレット号における四位騎手のような余程の事(ファンがあまりにも騒いだ場合)を除き、問題視はされない。また、その件に関するJRAの対応としては、第2回中山競馬裁決委員の金田裕之氏は 「本人は入線までは追っていたが、(周囲から)誤解を受けるような 騎乗をしたことを大変反省しており、今後このようなことは2度としないと話していました」と説明し、終了することとなった。


 しかし、この件以後、そのような腰上げ騎乗がなくなったかといえばそうではなく、毎週のように同じ光景が繰り返し見られている。その点、海外特に香港ではそのような怠惰と思われる騎乗に関しては厳しく、記憶に新しい所では、2005年の香港マイル藤田伸二騎手が最後まで馬を追わなかったとして4万香港ドルの罰金を科された。


 日本にも、厳罰化とまではいかなくとも何らかの対策は必要ではないだろうか。個人的な恨みつらみではないが、昨年のK.デザーモ騎手の騎乗にはアメリカを代表する騎手としての気概を感じなかった。それぐらいゴール前で馬を追うことを諦める光景が数多く見られた。そうした行為に対しては注意の喚起及び、処分が必要ではないかと考える。


 こうした、決勝戦まで馬を追うということも重要な問題ではあるが、もう一つ忘れてはならない問題もある。それが「トライアル(試走)としてのレース」である。この文章を書くきっかけにもなった2006年共同通信杯フサイチリシャールに騎乗した福永祐一騎手のコメントは以下のようなものである。気持ち体に余裕があると聞いていた。最後はアドマイヤムーンを待って追い出した。どれくらいの脚を使えるのかなぁという感じだった。本番に向けて試してみたいこともあったし、何も収穫がなかったわけじゃないです」(ラジオNIKKEIより転載)。


 もちろん勝ちたいという気持ちはあっただろうが、これまでの競馬でわかっている最良の方法ではなく、「試す」ことを頭に入れた騎乗を考えていたということは、何が何でも勝つという大前提が、一番の目標ではなくなっている。
 これは、フサイチリシャールの件だけではなく、クラシック競走のトライアルでは頻繁に見られる姿であり、「足を測る」「本番を見据えて試し乗り」は競馬をする者にとっては常識的な見方であるのかもしれない。より大きな舞台G1を目標に見据えるがための「試走」は絶対的に勝利を目指すものではない。武豊騎手がクラシック前のレースでいつもより後ろからの競馬を試すのは、もはや有名な話である。


 調教師や馬主の面から見ても、必ずしも勝利を目指して出走してこない状況が見られる。放牧からの休み明けは走らない前提で「休み明けだからここを使ってから」や「まだ動きが重い。一度使ってからだろう」などというコメントが平然と流される。あるいは、公にはされないが、昇級すれば賞金が取れそうにない馬を下級条件で着狙いさせる競馬というのも、必ずしもないとはいえないだろう。実際に、そうした馬主や馬を狙った予想方法もある。


 株の話で書いた大前提「公に発信する情報は「真実」でなければならない」ものが、競馬の場合は、暗黙の了解として認められている部分がある。出走する全馬の関係者が常に勝利を目指しているわけではなく、ある者は勝利を、ある者は試す競馬を、ある者は賞金目当ての競馬を。そして、その勝負気配を読むことまでが予想であると認識されている。


 競馬をやっている人なら、報道される情報が全て真実ではないことは
メディアリテラシーの中でも既に書いた通りである。そして、馬主や関係者に配慮して報道されない重要な馬券に関する情報も多々ある。例えば、フケに関する情報やソエや骨瘤などの脚元に関する情報などは、報道されないことが多い。


 競馬をやっている者は、こうしたリテラシー能力が自然と備わり、いつの間にか「そうしたものだ」と受け入れてしまいそうであるが、果たしてそれでいいのであろうか。少なくとも大前提である「勝つ」という目標に向かって競馬をすることだけは騎手、調教師や馬主に守ってもらわなければ、馬券を買う立場としては極めて不愉快であるし、不利益である。また、マスコミが公にしようとすれば「取材拒否」などの姿勢を示す競馬関係者もいると聞く(この部分は憶測ではあるが)。


 競馬というのは一つのレース単体で行われるものではなく、一連のレースの中の一つであるという前提に立って、仮に本番に向けて試すという調整方法や騎乗方法を認めたとしても、ゴール前で腰を上げる行為は許されるべきではないだろう。そして、そうした騎乗に関してJRAは厳しく取り締まるべきだと思うし、マスコミも厳しく報道しなければならないが、閉鎖社会である競馬界は現在のところ、それを認めてはいない。


 公正競馬を謳っていながらにして、その前提が確保されていない競馬。その前提さえも予想するのが一つの予想。そして、そのための情報は報道されず、それまでの経験則に頼り自分で予想しなければならない。いかに、競馬が難しい「賭け事」であるかと改めて認識したが、それでも賭け続けてしまう所に「ギャンブル性」を感じる。


 まとめとして、今後望まれる事は、馬主や調教師の側に立った報道ではなく、馬券を買うファンのための情報提供とそれを認める関係者(ホースマンとして)の姿勢。正しい情報提供をするマスコミの役割、公正競馬を守るためのJRAの厳しい姿勢。こうしたものであろうか。


 競馬をやると、このようなメディア・リテラシー教育になりうるという結論にもっていきたかったのだが、尻切れトンボになってしまった。この問題に関してはひとまず締めておく。文章が順序だてられていないので、もっと上手く書けるようになりたい。一つ一つが説明しきれていないし、文章の組み立てが悪いと自分でも感じるだけに、まだまだ勉強しなければ。長文・雑文をご覧頂きありがとうございました。