父サンデーサイレンスがいなくなった2歳S

 サンデーサイレンス産駒の2歳馬がいなくなった元年、あちらこちらで「これが本来の日本の競馬」「内国産種牡馬の仔が走ってこそ」「馬柱を見るのが面白い」という声を見かけるようになった。最初は自分もそう思っていたし、スペシャルウィークグラスワンダーエルコンドルパサーを始めとするターフを沸かせた世代の仔が、また覇権を争う姿を見ているのも面白いが、実際の所、サンデー産駒がいなくなって2歳戦において何が変わったのかとふと考えてみた。


 朝日杯FSステイゴールド産駒が制したことで、このテーマを取り上げることになったので、そこから考えて見る。そもそも、サンデーサイレンスの良血馬(評判馬)が早い時期から使い出す事はなく、基本的にはディープインパクトダンスインザダークスペシャルウィークのように日本ダービーから逆算して11月や12月から使い出す馬が多い。初年度や2年目こそ夏にデビューしたサンデー産駒(フジキセキバブルガムフェロー)が朝日杯を制したが、フジキセキ屈腱炎を発症、バブルガムフェローは骨折で2頭は共にクラシックの舞台を断念している。またメジロベイリーも朝日杯後に脚元に故障を発症し、翌年を丸々棒に振った。早い時期(8月)から使い出してダービーを制したのはタヤスツヨシぐらいなものだが、そのタヤスツヨシも秋には精彩を欠き、ダービー以降未勝利でターフを去っている。


 こうして早期デビューした馬が故障や不振に陥った影響か、はたまた大目標をクラシックだけに絞った結果か、サンデーサイレンスの有力馬は早期デビューから朝日杯に向かわずに、ラジオたんぱ杯などの翌年のクラシックへと直結する舞台を目指すローテーションを組みだした。


 少し過去を振り返ってみる。OP特別・重賞を勝ったサンデーサイレンス産駒とその世代のサンデー産駒のダービー馬は以下の通り(牡・牝合わせて。ダートは含まず)。

1994年が5頭(9勝) タヤスツヨシ
1995年が4頭(6勝)
1996年が0頭(0勝)
1997年が1頭(2勝) スペシャルウィーク
1998年が4頭(4勝) アドマイヤベガ
1999年が3頭(3勝) アグネスフライト
2000年が7頭(8勝)
2001年が4頭(4勝)
2002年が3頭(4勝) ネオユニヴァース
2003年が7頭(7勝)
2004年が2頭(2勝) ディープインパクト
2005年が1頭(2勝)


 大体、平均していずれの年も2歳のOP特別・重賞は32〜35レースぐらいある。その中で平均して4勝そこそこだから、サンデー産駒が2歳戦線から猛威を奮っていたということはない。ダービーを逆算して使い出す馬が多いだけにサンデーサイレンス産駒は3歳春のトライアルシーズンあたりから勝ち星を重ねているということだろう。


 今年の2歳戦線で一番面白かった事は、OP特別・重賞を制した馬の母親が過去にサンデーサイレンスを付けていた馬が、一頭もいなかったことである。サンデーサイレンスがいなくなった事によって、今までサンデーサイレンスを付けていた繁殖牝馬が、他の種牡馬に分散された結果、これらの新種牡馬の活躍が見られるのではないかということだが、そうした期待の繁殖牝馬の多くが、アグネスタキオンダンスインザダークに回っているのは未勝利や500万下にゴロゴロいる馬をみれば分かる。
 これはこれまでサンデーサイレンスを付けていなかった馬にもチャンスが巡ってきたといえるデータではないか。しかも、調べてみれば様々出てくるが、今年は地味と言われたり、比較的種付け料が安い種牡馬をつけていた繁殖の活躍が目立っている。
 サンデーサイレンスを付けられなかった牧場や生産者が、自分達の牧場の馬をターフに送り出すチャンスがきたのかもしれない。


 それと同時に起こったのが、今年海外で活躍した馬の多くが、父がサンデーサイレンスであるか、母父がサンデーサイレンスであるか、父がサンデーサイレンスの直仔であるかであったことだ。アドマイヤムーンソングオブウインドポップロックは母父がサンデーサイレンスである。

 

 2006年の(春の)クラシックは社台系ではない馬が勝ち馬を占めた。こうした傾向は何年かに一度起こりうることだ。しかし、サンデーサイレンスと種付け出来た人々や関係者が繁栄したように、次は父がサンデーサイレンスである繁殖牝馬を持つ人々が一度優位に立ったポジションを引き継ぐかもしれない。サンデーサイレンスで出来た格差(悲観的な意味ではない)は、サンデーサイレンスが父としてではなく、母の父となってからも続いていくのであろうか。


 上記は今年の夏のセレクトセールの回顧として書いたものだが、内国産馬が世界で戦って行くにはサンデーサイレンスの血が非常に重要な要素であることは言うまでもない。サンデーサイレンスを導入したことによって一気に世界の頂点が近づいた。その結果、血統だけでなく、その途中で手に入れた知識やノウハウといった人や施設の財の部分でも世界のトップクラスに追いつく所までやってきている。


 現役競走馬が数多く残れどディープインパクトの引退によってサンデーサイレンスの時代は一応の幕を閉じるだろう。そして、その後は、サンデーサイレンスの血を巡る馬と人の戦いの第二章の幕開けとなる。そこには、ダーレーが世界の良血を導入し、JRAが海外から種牡馬を買い付けてくる。サンデーサイレンスがもたらした国際化の波は、直仔が活躍だけでなく、日本の競馬構造自体を変えようとしている。死してなおその存在感を示す偉大なる種牡馬サンデーサイレンス。改めて、その功績に敬意を表したい。

 
 そして、最後に、この2歳戦の結果がそのままクラシックに繋がるとは思っていない。それは、サンデーサイレンスが存命であった時代も2歳Sの勝ち馬が翌年も勝ち星を挙げることができた馬が少なかったからだ。しかし、血統的バリエーション、非サンデー血統が生き残る一つの道として2歳戦が新しい道となるかもしれない。
 

 あと、ダイワスカーレットアドマイヤオーラ中京2歳S勝ってしまったら、当然SSを付けていた繁殖牝馬がゼロというデータは訂正される。
 それから、アドマイヤコジーンやらタニノギムレットは非サンデーであるが社台繋養であることも忘れてはならないことの一つ。