雑記
ふと思ったけど、最近どうしてるんでしょうか。映画を作るやら、ぬいぐるみを作るやら、色々と案件が出てましたが、あんまり話を聞かなくなったね。某ゼミの先生によると、紀宮様の誕生日の日に武豊騎乗のハルウララが走って勝利→引退らしいけど、俺は無理だと思ってる派。まず、出てこれるのかね。
まぁ世間というのは、昔はハルウララで頑張る姿に感動したとか勇気をもらったなどなど言って、ディープインパクトが出てくれば強い馬が強いレースをしてこその競馬だとか言い出すし。それで競馬人気が一時でも盛り上がれば別にいいですけどね。良い悪いという判断基準が人それぞれで違うだけですから。
個人的には、騎手と馬が一体となって勝利に向かう姿こそが競馬の醍醐味だと考えるというか、感じる派なので、ハルウララのレースを観ても何の興奮もしないが、ディープのレースや、スペシャル・アドベガのダービーなどを観ると必ずといって良いほど体が震える。考えるよりも凄いレースを観れた時は体が先に反応する。
そういった意味では、年に何回かしかないかな。それは条件戦でも観られることもあれば、GⅠで観られる機会の方がやっぱり多いかも。条件では「上手いな〜」レベルで止まってしまうし。
- 競馬雑誌
サラブレや優駿で付録としてDVDが付くようになって数ヶ月。観たいレースがある時は買うんだけど、DVDをつけるだけじゃ、雑誌としての将来は…。サラブレの魅力は読み物としての金満王国とレーシングインプレッションにあったと思うんだけど、最近は低年齢化したのか、素人っぽい記事が多いというのか。
競馬王も買わなくなったな〜。一時期はMの理論や馬体研究に役立つ一冊だったけど、儲かる馬券の数字理論よりも、やっぱり馬個体の見方を紹介してくれる馬券術の方が楽しいというか、個人的には好きだ。
ダビスタから競馬に入り、金満→馬体→M→馬体→レース解剖→出目理論他→総合的思考っていう流れかな、大体。俺にとっての金満馬券っていうのは、かなりの衝撃で今の馬券考察の基礎にもなっているんだけど、今の金満にそれは見られない。Mにしてもそうだけど、ある種の出涸らしみたいなものかな。それに比べて、馬体の見方っていうのは、本当に素人に毛が生えた程度のものだから、これから勉強したいと思う分野で。
- 見方
基本的には、血統からその馬のレベルを推理して、あるレースでそれを超えるパフォーマンスを観た時に、個体としての評価にするかえる。例えば、ゼンノロブロイはデビュー前に「1600万レベルのマイラー」と評価して、ダービーで切ったんだけど、それ以降母父マイニングという認識は消えている。
また、ザッツは1歳の時からダンス産駒で走る馬がいると言い続けてGⅠ制覇までしてくれた馬だ。当時はGⅠ=ダンス産駒消しというのが定説だった。それを覆すだけの馬体の何というかオーラみたいなものを感じとっていた。
他には、ツルマルボーイかな。この馬がまだ1000万下で走ってた時に、京都競馬場で「将来間違いなく走る馬になるよ」って言ったし。
それから最近ではカネヒキリだとか。ディープはブラックタイドの悪印象を引きずってレースを観すぎた感があるね。
だから、POGでも基本は血統で入って、それに+α馬体のバランスで最終的な評価を決める。まずは血統的なイメージである程度の範疇を決められるというのが金満の一つの読み方でもあったし、それは今でも俺の中心にある。
長々と書いたけど、まだまだ勉強中の身だ。もっとたくさんのレースを観なければならないし、馬個体を見なければならない。そういった意味では競馬場に足を運んでパドックで馬を見なければ。足で情報を稼ぐのは今も昔も変わらない。