メディアリテラシー

 「状態は良いが、相手が強い」

 「相手が強いが、状態は良い」


 よく例えに出されるこの言葉でもわかるように、記者の書き方一つで、受け手の読者の印象も一変する。


 小倉2歳Sエイシンアモーレのコメント。
 レース前「体重は減っているけど、今までが太すぎたよ。やっと走れる体になったということ。手応えはあるよ」

 レース後「馬体減? 万全という状態ではなかった。前走のダメージが思っていたより大きかった。その中でよく頑張っている」


 レース前コメントは厩務員の発言で、レース後は福永騎手のコメントだけど、福永騎手のコメントから推察するに、陣営としても状態が良くないことは、レース前からわかってたはず。厩務員の発言は「馬主」に向けて発せられたもので、決してファンのために発せられたものではないだろう。「状態が悪いのがわかってるのに使うのか」ということにもなりかねないから。


 新聞やテレビといったメディアが正しい情報ばかりを発するとは限らない典型的な例。おそらく、マスコミの中にも、本音を聞きだしていた記者はいるだろう。しかし、話を聞いた関係者の意に反して「状態はよくない」と書くと、それ以後の取材に支障が出るから、本音を隠して記事を書く。


 メディアリテラシーという言葉を体感するのに、競馬は非常に有効な手段だと思う。この関係者のコメント一つをとっても、複雑な意図が絡みあっていることがわかる。


 調教に対する評価を見比べても面白い。スポーツ報知では、JRDBという情報組織からデータ提供を受けて載せているが、例えば新潟2歳Sショウナンタキオンの調教。JRDBによると、「D」評価。しかし、報知の調教欄には、「重心の低いフォームで申し分なし(右上向き矢印)」と書かれている。


 調教やレースを観た印象というのは、人によって異なるので、こうした判断コメントは実はあまり参考にならない。上がり1Fを伸ばしてきた馬を評価する人もいれば、全体のタイムを重視する人もいる。大抵の追い切りビデオでは、4角〜直線しか放送されないが、ビデオにない部分で何が起きているのかは判断しようがない。


 以前、競馬ブック武豊騎手の騎乗に関して「不可解」と書いたことが、彼の機嫌を損ね、次週の騎乗後コメントを一切受け取れないという事態があり、結局は、競馬ブック側が謝罪するという形で幕を下ろした事件があったが、武豊騎手を好きな人間としては、非常に残念なことである。


 競馬には様々な見方があるということは彼も十分に承知しているはずで、彼もプロである以上は、そうした批判も受けてしかるべきだろう。それなのに、自分を悪く書いたブックに対してコメントをしないというのは、小学生がごねているのと同じレベルではないだろうか。


 この事件も閉鎖的な競馬社会の出来事なのでどこまでが事実なのかはハッキリしないというのが、本当の所で、あまり推測的なことは、自分としても書きたくはない。


 ギャロップには先週、先日のインターナショナルSでの武豊騎手の騎乗を非難する記事を掲載した。といっても、日本人記者が書いたものではなく、海外メディアが発したものを、載せているだけであるが。そうした批判的な見方が、日本のメディアの中から出てこないのが残念でならない。


 はっきりと書けない、書かないメディアから発せられる情報を鵜呑みにしては競馬で勝つことは難しい。勝つ上で大切なのは、「馬を見る目」に尽きる。これがあれば、自分で馬を確かめ、メディアに騙されることはない。


 あくまでも競馬を楽しむというのなら、そこまで深読みしなくてもいいし、好きな馬や数字を買ってればいい。ただ、そういう裏もあるということを覚えておかなくてはならない。