物語としての競馬

  • 物語

 競馬の楽しみ方は人それぞれで、馬券が好きな人もいれば、馬が好きな人もいる。騎手が好きな人もいれば、血統が好きな人もいる。様々な人がいる中で、パチンコや麻雀とは違う楽しみ方。それは、一つのレースの中に「物語」があること。その「物語」は競馬を知れば知るほど奥深くなるもので、その追求は突き止まることを知らない。人の人生は80年だが、馬の場合は競走生活が2歳〜6歳としても、繁殖馬となればその馬の子供が3年後にはターフに出てくることになる。「小さな物語」がいくつも生まれ、やがて、それは「大きな物語」となる。そこで、エリザベス女王杯を取り上げてみよう。

 トウショウボーイで一時代を築いたトウショウ牧場は、その血に固執した。それはある意味で成功であり、ある意味で失敗だった。父トウショウボーイシスタートウショウ桜花賞を制して以来、13年。スイープトウショウ秋華賞を勝つまでは苦しい時間が続いた。

 トウショウ牧場トウショウボーイの血に拘り、血の改革を行わなくなった結果、ほとんどの馬がトウショウボーイの血をその体内に有すこととなった。しかし、トウショウボーイの血は、ミスターシービーを始めとし、一時代を築いたものの、サンデーサイレンス産駒の登場と共にその姿を競馬場のウイナーズサークルで目にすることは徐々に減っていった。

 ここ数年、トウショウ牧場は牧場改革として、外来の血を導入することを決めた。それが、トウショウナイトの母ミッドナイトオアシスの導入なのである。そして、その馬が結果を出した。

 それと同時に、トウショウ牧場が築いてきた土壌に光が差した。トウショウボーイとマーブルトウショウの子供であるサマンサトウショウ。そのサマンサとダンシングブレーヴの子供が、スイープの母タバサトウショウである。トウショウボーイの血は、母系の中に確実に存在していた。

 この馬のエピソードは多くの人が知っているように、母エアグルーヴの話があり、その母ダイナカールの話がある。そして、そのダイナカールにはノーザンテーストの導入があり、社台の歴史があり、鞍上岡部幸雄の物語もある。

 この馬も母エアデジャヴーの物語があり、その母アイドリームドアドリームを輸入した物語がある。多くのサンデーサイレンス産駒に共通のサンデーサイレンスの不遇の幼少時代、華やかな競走馬生活、再び訪れた不遇の種牡馬入りと来日の過程、そして日本競馬の革命と様々なエピソードがある。

 今回のエリザベス女王杯で最も印象に残ったのは、この馬だったかもしれない。それはレース前に偶然見つけた岡潤一郎物語を見たからだった。もちろん岡騎手については存じていたし、やまさき拓味氏の 『優俊たちの蹄跡』も目にしたことがある。母リンデンリリーの仔ヤマカツリリーエリザベス女王杯に挑戦した時にも思い出した。川島騎手と安藤調教師の鞭の話。これだけでも一つのドラマになる。このきっかけに是非見て欲しい。

  • 夢の続き

 これ以外にもそれぞれのレースに、人に、馬にドラマがある。こうした背景を知らずとも競馬を楽しむことは出来るし、十分に楽しむことが出来る。でも、背景を知れば知るほど、もっと競馬は楽しく、そして興味深いものとなる。

 ディープインパクトを通じて多くの人が初めて競馬に触れることになるだろう。その時、少しでも競馬をかじった事のある人間はどのような対応をすべきであろうか。単にディープインパクトの強さを伝えるだけでなく、競馬というブラッドスポーツ、血のドラマ、人のドラマも一緒に伝えることができないだろうか。そう思っている。

 オグリキャップが、ハルウララが、そしてディープインパクトが物語を持つように、一頭一頭に物語がある。いかにしてそれを紡ぎ伝えることが出来るか。競馬界のためなどではなく、映画と同じように「一つの物語」として誰かに何かを伝え、感じてもらうことが出来るお手伝いが出来れば良いと思う。


 「競馬」=「ギャンブル」。多くの人がそんな安易なイメージで片付けてしまう。それだけではない「競馬」にしかない「物語」の継承が本当の競馬ブームを作り出すのではないだろうか。