日本競馬とナショナリズム

 ジャパンカップアメリカ生産馬でイギリス調教馬アルカセットが勝ち、鞍上のイタリア人L.デットーリに「さすが世界のデットーリ」と手放しで褒める日本人を見ていると、香山リカのいう「ぷちナショナリズム」など、どこの国の話だろうかと思ってしまう。

 秋の天皇賞では、戦後初の天覧競馬で天皇、皇后両陛下が東京競馬場にお越しになられ、関係者がお出迎えし、さらに、勝った松永幹夫騎手が馬上から頭を下げた。この馬上から礼をした行為に関しては、比較的「素晴らしい」という意見が多かったのではないかと思う。

 また、レース前に、場内ターフビジョンで天皇、皇后両陛下がお越しになられていることが知らされても、ファンは奇声を発したり奇行を起こすこともなく、静かに手を振っていたように思われる。JRAが忘れていたのか、あえて配らなかったのかは定かではないが、よく見られるミニチュアの国旗を振るという行為もなかった。

 こうした一連の行動を見ていると、サッカーや野球がナショナリズムを騒ぎ立てられるのにもかかわらず、競馬が平穏であるのは、マスコミが興味を示さないだけなのか、競馬関係者(JRAもファンも)が大人なのか。

 少なくとも、競馬の影響で将来戦争になろうなどと言うものはいないだろう。香山リカもそれは否定してくれると思う。

 エルコンドルパサーが海外遠征しモンジューに敗れた時でさえ、日本人は「モンジューって馬は強い」「エルコンドルパサーは頑張った」といい、ナショナリズム云々という話は聞かなかった。また、今夏、ゼンノロブロイシーザリオが遠征した時もそうした話は聞かなかった。

 2001年、アグネスデジタルを始めとする日本馬が香港シリーズを席巻した時、「香港に侵略」や「中国を制圧した」などという者は多くなかった。


 こうしたナショナリズムが働きにくい、あるいは、働かない背景にあるものは何なのだろうか。ブラッドスポーツ(血の継承)という意味において外国馬との交配を認めているからなのか。そうだとすれば、日本で代表と思われる天皇賞親子3代制覇のメジロマックイーンの系統にしても、4代前まで遡ればパーソロンアイルランド馬だ。サンデーサイレンスアメリカの年度代表馬であり、日本土着というイメージはない。

 ブラッドスポーツでないとするならば、単に日本人の競馬ファンが欧米に対する憧れやコンプレックスを持っているだけなのか。

 香山リカのフォローをしておくと、競馬ファンは若者がメインではなく、老若男女、圧倒的に若者と比べると年配者の方が多いから「ぷちナショ」の傾向は見られないのかもしれない。ともあれ、日本競馬がどうしてナショナリズムとは無縁なのか。単に、中国・韓国が弱く口うるさく指摘してこないだけなのか。何ともいいきれない部分はあるが…。


 好き嫌いでなく強さを認めた上で、香港馬を一番人気にする日本の競馬ファンの姿と、ジャパンカップの後の静けさを見て、今騒がれている「ナショナリズム」というモノを考えてはみたものの、結論めいたものは見えてこなかった。やはり、競馬でナショナリズムは語れないのだろうか…。