直後の感想(有馬記念)

 競馬界にとって、2005年がどのような一年だったのか。ディープインパクト有馬記念敗戦、生涯初の敗北を受けて、改めて考えさせられた。


 2005年がディープインパクトの年であったというには、やはり有馬記念は勝たなくてはならなかった。この敗戦によって、心にポッカリと穴が開いたような、馬券の当たり外れを別にした「無気力感」で支配されている。


 もちろん、ディープインパクトが達成した史上初の無敗の3冠馬の記録は色褪せるものではない。しかし、何とも形容しがたい虚しさが、自分の心には残っている。


 同じようにジャパンカップで敗れたシンボリルドルフを観た人々は、このような虚しさを味わったのだろうか。


 勝ったハーツクライルメールは素晴らしい競馬だった。道中3番手につけた判断。惨敗すれば言い訳の効かない騎乗をこの大舞台で実行に移した「若武者」を誉めたい。前日の予想で「4角先頭の競馬なら恐い」と書いたが、スタート直後に前につける姿を観て、一発の確信を得た。ハーツクライの陣営の皆様、おめでとうございました。


 ゼンノロブロイタップダンスシチーサンライズペガサス。これらの馬が残してくれたモノも多々ある。


 ゼンノロブロイは、母父マイニングという既成概念を壊してくれた。デビュー前の新馬紹介で「母父マイニングで藤沢厩舎。将来的にはマイル前後の1600万下馬だろう」と恥ずかしい評価を下した。世間的には地味な印象があるかもしれないが、青葉賞、ダービー、神戸新聞杯などほとんどのレースが印象に残っている。一番を挙げれば、ダービーでネオユニヴァースが直線を真っすぐに駆けたのに対し、ゼンノロブロイが右に左にヨレていたことだ。お疲れ様。


 タップダンスシチーはまさにリボー系らしい成長力を発揮した馬だった。3歳時から関西では人気のある馬だったが、有馬記念ファインモーションに臆しない競馬で一気に有名馬へと駆け上がった。3角スパートという新しい競馬の形で、競馬を盛り上げてくれた。そして、惨敗したものの凱旋門賞にも挑戦し、帰国後の有馬記念でも意地を見せてくれた。お疲れ様。


 サンライズペガサスも最も印象に残っているレースは、エアエミネムには敗れたものの2着に食い込んだ神戸新聞杯クロフネダンツフレームといった春の勢力を押さえ込んだ競馬を観て、「関西馬は本当に層が厚いな〜」と思った。G1に最も手が届きそうだった2002年の秋の天皇賞。鞍上が…、東京開催であれば…というタラレバが重なる馬でもあった。この馬の末脚も忘れられないものになると思う。


 これで一応の2005年の競馬は終わりです。まだ東京大賞典は残っていますが。年末〜金杯までは、今年の全体の回顧や来年の注目馬などを書いていきたいと思うので、これからもよろしくお願いします。

 競馬開催としては本日が最後になりますので。たくさんの人にご覧戴きましてありがとうございました。来年こそは「抜けのない」予想を目指して行きたいと思いますので、暇があればまた観ていただければ幸いです。本当に今年1年ありがとうございました。

 最後にクリックしていだだければ、なお幸いです。→人気ブログランキング