競馬のためにできること

 先日、ドリーム競馬(正しくはDREAM競馬)について書いた中で、今競馬ファンがすべきことは「競馬場へ行くこと、馬券を買うこと、周りの人にメッセージを発すこと。そうした事を実行していくこと」と述べたが、それらを「すべきこと」から「した方が良いこと」と書いた方が良かったかもしれないと思っていた。なぜなら、多くの人々にとって、競馬は余暇であり、趣味であり、個人の自由なる判断に委ねられた遊びであるからだ。誰からも強制されることはない。しかし、このまま進めば、近い将来、自分の好きな時間と場所がなくなるかもしれない。それを守るためには、やはり「今」行動するしかないのだ。


 日本では明治から戦前まではイギリスと同様に富裕層の遊びであった競馬が、戦後、国民の娯楽として提供される中で、パリ・ミチュエル方式の導入をしたことが日本競馬らしさをもたらした要因である。パリ・ミチュエル方式とは1865年にジョゼフ・オーレルによって発明された方式で、客が自ら勝ち馬を選択し、賭け金を払い込む。そしてレース後、主催者がある割合(控除率)を天引きした残りの全賭け金を勝った勝者が分け合うシステムである。このパリ・ミチュエル方式は馬券の売上げによって、競馬が成り立つか否かが懸かっている。つまり、日本はパリ・ミチュエル方式を導入したということにより、日本の競馬がすべてファンの払う馬券収入だけで運営されているという特性を持ち、すなわち、馬券売上げ=競馬のあるべき姿という図式を作り上げたのである。


 そのあるべき姿が保てなくなった競馬がどのような結末を辿るかは、廃止された地方競馬を見れば明らかだろう。中央競馬地方競馬は組織、規模こそ違えど、基本である「馬券の売上げによって、競馬が成り立つか否かが懸かっている」ことは同じである。


 日本の競馬はここ数年で大きく姿を変えた。競馬を取り巻く環境の変化について、長島信弘[1988]は自身の経験を振り返り、「私が始めて競馬場に足を踏み入れたのは1963年暮れの中山競馬場だったが、その頃はほとんどが殺気だった男たちばかりで女性の姿はほとんど見かけなかった。当時の競馬場は馬券賭博の鉄火場で男の世界だったのだろう。現在では雰囲気がすっかり変わっていて女性でも何の恐ろしさもなしに入れるようになっている」と述べている。
 また、谷岡一郎・仲村祥一[1997]の中で、杉本厚夫は競馬場の様子を次のように語っている。「この若者たちが、競馬場の雰囲気を一変させた。かつてのように賭博、悪事、身の破滅という公式は、もはやそこにはない」と指摘し、「競馬ってギャンブルだったの? そんな言葉がもうすぐ聞かれるようになる」とさえ述べている。
 杉本の指摘する「競馬ってギャンブルだったの?」という言葉が来る時代は流石にもっと先か、あるいは訪れることはないと個人的に思うが、そのような意見を持つ人がでてくるぐらい女性、子供に受け入れられるまで大衆化したということだろう。


 ここからは、長島信弘[1988]が競馬ファンに関して論述しているので、それを引用しながら進めていく。
 1986年の調査によると、競馬を始めた動機は「知人・友人がやっていたので」が53%と圧倒的に多く、「儲かるから」というのはわずか3%である。また、80%以上が今後も競馬を続けると応えている。
 1982年の調査で「競馬はギャンブルかレジャーか」という問いには、49%がレジャーとし、「どちらとも言えない」が30%で、ギャンブル視している人は17%であった。そして、66%の人が「競馬をしていることを周囲に隠すつもりはない」と答え、隠したい人は11%である。
 また当時の女性ファンついて、来場のきっかけは誘われたためが71%で、連れて行くよう頼んだり、自分の方から誘ったりした女性も19%いる。競馬を始めたきっかけは「友人がするので」が46%と圧倒的に多く、「レクリエーションとして」が15%、「前から興味があった」が12%と続くが、20代女性に限ると、「友人」が63%と高くなるほか、「人気のある馬がいたので」が15%という動機が増える。女性ファンの80%は周囲に競馬ファンがおり、競馬仲間は家族が51%である。
 競馬については、「レジャーであり」が54%、「周囲に隠す必要はなく」が61%、と答えている。
こうした女性の動向を、長島は「ファッション化の傾向を示している」と結んでいる。


 競馬場への入場者が減少していることは、これまでにも何度か述べてきた。それと関連するのは、電話投票、インターネット投票の増加と、競馬ファンの高齢化であろう。
 ファンの競馬場離れという現象は日本に限ったことではない。アーリントン競馬場社長のクリフ・グッドリッジ氏は次のように話している。「発売金総額はこのところマスコミに大きく取り上げられますが、観客数についてはほとんど問題にされていません。しかし、実際に競馬を見たことがない人が競馬に興味を持つということは多くありません。OTB(場外馬券売場)や電話投票で馬券を購入する前に、生のレースで経験してもらわなければなりません。観客が減り続けていれば、私はその競馬場の将来を心配します」。(4)
 つまり、電話投票や場外馬券売り場といった機器や施設の充実は、遠隔地での馬券購入者の増加を促進したが、競馬場にまで足を運ぶ人が減ったことによって、来場者に伴ってやってくる新規顧客の減少に繋がっているのではないかというのである。(『The Blood-Horse』2004年2月21日)


 また高齢化については、競馬場来場者における60歳以上が占める割合が1991年の12.4%から2001年では27.7%と倍増していることからも明らかである。また、それを示す傾向として、給与所得者のファンの割合は70.1%から55.4%へと減少し、無職ファンの割合は5.1%から15.6%へと上昇している。


 競馬環境の変化を紐解くために、日本人の余暇活動の実態を見てみると、1990年代後半から、余暇活動のウチ志向が強まっていることがわかる。参加人口を増やしている種目は、「外食」「ビデオの鑑賞」「園芸、庭いじり」「宝くじ」「体操(器具を使わないもの)」「パソコン」「ジョギング、マラソン」など、いずれも家の中や家のまわりで費用をかけずに楽しめる日常的なレジャーである。また、健康・学習関連の自分磨き的な余暇活動が順位を上げている。
 これと対照的に、「ドライブ」「国内観光旅行」「海水浴」「動物園」などの屋外型・非日常型レジャーの参加人口は減少傾向にある。公営ギャンブルも例外ではなく、いずれの種目でも参加人口は減少傾向にある。
そのような中で、中央競馬における電話投票は一人当たりの購買額は減少しているが、電話投票による売上げの総額は年々増えており、2006年には前年比103.2%、また発売金総額の43.5%を記録している。つまり、家の中で余暇時間を過ごしたい人にとって、競馬場や場外馬券売り場まで出掛けることなく、自分の家で馬券購入が出来ることは快適であり、それによって競馬に参加する機会が増えているといえるだろう。
 だが、その一方で、こうした競馬ファンが在宅競馬をすることによって、新規ファンを連れ添って競馬場に足を運ぶことが減少している。それによって新規顧客の取り込みに苦戦を強いられているという状況もある。これからの課題としては、いかに固定ファンを競馬場まで足を運ばせるか。また、新規顧客の獲得にどのような策を講じればよいのかが焦点となる。しかし、設備投資や魅力的な高配当馬券といったハード面の対策はほぼ出尽くしたといっても過言ではないだろう。もちろん、快適な空間作りを目指すことは必要であろうが、それはサービス面での課題であろう。


 サービス面の強化は、JRAやNARといった主催者側が努めていくべきことであり、我々競馬ファンに何ができるかを考えた場合、やはり「競馬場へ行くこと、馬券を買うこと、周りの人にメッセージを発すこと。そうした事を実行していくこと」である。そうしなければ、自分たちが楽しみにする週末が訪れることがなくなってしまうかもしれないのである。
 では、馬券を買わないファンは競馬ファンではないのか。確かに、馬券が日本競馬を支えていることは間違いない。しかし、馬券を買うファンだけがファンであるのであれば、それは単なるギャンブルであり、競馬を大衆化へともたらした「レジャーとしての要素」を排除してしまう。
 20世紀型の中央競馬とは、戦後復興における財政確保、および、大衆への娯楽の提供であり、1960年代は、男だけが勝負を懸ける鉄火場として存在し、1970年代以降は、それまでの競馬=ギャンブルというイメージから観るスポーツへの変化をもたらした。1990年代以降は、ギャンブルのイメージを刷新し、誰もが楽しめる場所、イベントとして生まれ変わった。2000年代以降はウチ志向が高まり、電話投票やインターネット投票による馬券を購入する人の割合が増え続けている。21世紀型の中央競馬に求められるものは、競馬の大衆化をもたらせた観るスポーツでありながら、ギャンブル本来の目的である馬券を購入し、なおかつ、レジャースポットとして人々に安らぎや憩いを与える場所であり続けなければならない。
 いつの時代も、人々が競馬場に足を運ぶ目的は、そこに観たい馬とレースがあるからである。馬券の売上げによって競馬が支えられ、存在している以上、競馬はギャンブルとスポーツとを切り離して議論することはできない。


 このように考えた結果、園田競馬場へ足を運んだ。自分にできることは、こうしてブログのような場でメッセージを発し、競馬場に足を運び、馬券を買い、そこに友人を伴い、競馬の素晴らしさ、面白さを伝えていくことである。そこでは、一人一人が伝道師である。中央競馬しか買わないファンには、次々と廃止される地方競馬対岸の火事かもしれないが、「日本競馬」という形で、影響を被ることは間違いない。
 好きな時間と場所を守るために、一人一人に何ができるかを考えてみることも必要なのではないだろうか。そして、それを実行に移すことが、結果として、自分のみならず、多くの人々にとって有益になるのではないだろうか。


 参考文献
谷岡一郎 1996年 『ギャンブルフィーバー』,中公新書
岩崎徹 2002 『競馬社会をみると、日本経済がみえてくる 国際化と馬産地の課題』,源草社 
長島信弘 1988 『競馬の人類学』 岩波新書

参考資料
レジャー白書』(財団法人社会経済生産性本部)1997〜2006年度の各年版
『The Blood-Horse』2004年2月21日