騎乗ぶり

 アドマイヤドンが出遅れなければ勝ち負けの辺りまで迫っていたという意見を沢山みたが、個人的見解としては、「出遅れたからこそあの脚が使えた」と解釈している。レース前に懸念していた揉まれた経験の無さ。ここ数戦のゲート直後の行きっぷりの悪さ。距離が1600mになり3番枠を引いて間違いなく揉まれる競馬になると思っていたのが、まさかの出遅れ。それにより、他馬より5馬身ほどの不利を受けたが、揉まれるという懸念からは開放された。それが最後の末脚に繋がったのではないかと見ている。だから、普通にゲートを出ていれば道中揉まれ込んでズルズル下がったのでは…と思っているが、今後は大阪杯宝塚記念の芝路線に進むようで、この考えは秋以降に持ち越されてしまった。タラ、レバはないので過ぎたことの確認は取り様がないのだけれど。

 さて、京都記念ナリタセンチュリーの快勝劇には、日経新春杯で本命にし、不利を受け惨敗しながら、次走で巻き返しがあると信じていた自分の見る目が正しかったことが証明され、個人的にはそういった点から、この馬の勝利が嬉しかったが、田島騎手のHPを見ると、前走の武豊騎乗はあまり支持されてなかったんだなぁと思う。乗り替りのマイナスの側面が出た前回の騎乗。ナリタセンチュリーという馬の特性を掴んでいなかった騎手の違いが大きく出たレースだった。

 もちろん乗り替りによって劇的に才能を開花させる馬もいることも確かだ。かつてのテナシャスバイオは安藤勝では別馬のように走ったし、イーグルカフェもR・デットーリの騎乗により激変した。そういった良い面とナリタのような悪い面を予想することは、レース前には難しいが、一度の失敗から学ぶこともある。

 今回の馬券はナリタ1着軸でも取ることが出来なかったが、アプローチの仕方は悪くなかったと思う。2着の馬を如何にして拾えるようになるか。それが今後の課題。

 その武豊は乗り慣れたライラプス東京競馬場で騎乗した。この馬は使える脚が極端に短い。だから出来る限り末脚を我慢させ、我慢させ。前に2頭いたが、強引には割らず、バテて隙が出来るのを長い直線でずっと待っていた。そして、開いたのが残り200mの地点。最後に詰め寄られたように、これ以上早くても遅くても微妙な結果になった仕掛けだったろう。思い描いたレースが出来たことが、GⅢでも派手なガッツポーズをした彼の心情ではないだろうか。

 このblogでも何度か騎手批判をすることがあるが、「騎手でない奴に何がわかる」という意見があるだろう。しかし、「騎手でないからこそ見えるモノ」というのもあるはず。良い騎乗は誉めるし、素人目にも疑問の残る騎乗は叩かれて然るべきだろう。

 今回の二つの重賞の騎乗は素晴らしかったと思うし、そうした素人の自分には想像も出来ない乗り方がこれからも増えることを期待している。