ザッツザプレンティ屈腱炎再発。引退濃厚か。

realtotheworld2005-05-03

 この馬に関しては語るべき思い出がありすぎて、簡単には語れない。個人主催のPOを始めようと思って、偶然出会ったのが、この馬だった。社台の募集馬の画面を見た瞬間、バランスの良さ、この馬の持つ雰囲気の虜になった。それから後は、この馬のことばかりを人前で話すようになった。

 デビュー戦の11月2日。浪人生だった僕は授業を受けながらこの馬のレースが気になって仕方がなかった。スタートが12時55分。結果が入ってきたのは1時15分丁度だった。携帯の画面に1着ザッツザプレンティ、2着スズカドリームの表示を見た瞬間、自分の眼が正しかったんだと確信した。

 2戦目は競馬場で観戦した京都2歳S。パドックで間違いなく勝ち負けになると踏んで、ザッツの単勝とザッツからエイシンチャンプへの馬単だけを買った。結果は1着エイシン、2着ザッツ。後藤○ね!とどれだけ叫んだか。しかし、ここでザッツを破ったエイシンが強い馬だと信じたことで朝日杯でサクラプレジデントエイシンチャンプの馬券を取ることに成功する。

 3戦目は超不良馬場のラジオたんぱ杯2歳S。断然人気のブルーイレヴンの勝ち方だけに焦点が集まっていたが、2番手からスイスイと、まるで水かきがついているかのような脚で圧勝したザッツ。これで完全にクラシック路線の主役になった。

 明けて3歳。緒戦は弥生賞。河内騎手引退に伴い鞍上は武豊に。弥生賞武豊。ここまでほぼ崩れたことのなかった、この関係を信じ、馬連ザッツ―エイシンチャンプに賭けた3万は、この馬との別れを決心するものとなってしまった。
 このレースでザッツがソエ焼きをしていたことを競馬王関連の本で読み、それ以後、脚元に関する書籍を読み漁り、競馬知識の向上に役立つことになることも収穫としてあった。

 クラシック第一弾の皐月賞。一気に人気のなくなった同馬の鞍上には中央ジョッキーとなったばかりの安藤勝己が。しかし、高速馬場に対応出来ないと読み無印に。結果、スタートで横のサイレントディール接触する不利もあり惨敗。さらに人気を落とす。

 1.5倍の弥生賞から25.4倍へと人気を落とした日本ダービー。この馬の最も得意とする重馬場という条件がきた。このダービー、買った馬券はザッツの単勝100円。ネオユニヴァースゼンノロブロイの馬券など買わずに、このダービーはザッツと僕とのダービーだった。結果は3着。ネオの強さに心打たれながら、ザッツの頑張りを胸に秘め、雨の京都競馬場を後にした。

 秋になった神戸新聞杯をまたも瞬発力勝負で負け、人気を落とした菊花賞。今となってはダンスインザダーク産駒がGⅠでも注目されるが、当時はダンス産駒=消しという評価だった。
 4角手前から一気にスパートし、追いすがるネオユニヴァースを突き放し3冠の夢を封じ、大外一気に脚を伸ばすリンカーンが3/4馬身差まで迫った所がゴールだった。この時の購入馬券はネオの単勝100円のみ。それでも直線は「ザッツ頑張れ、逃げろザッツ」と声を枯らして叫んだ。

 ダンス産駒最初のGⅠ馬。それは橋口調教師にもダンス産駒でも初GⅠ勝利をもたらした。

 その後、どろどろ馬場のJCでシンボリクリスエスを破るもタップダンスシチーの2着。しかし、ネオには先着した。

 結局、生涯勝利はたったの3つ。的中した馬券はゼロ。それでもこの馬が居てくれたからこそ、今の自分がある。そう信じている。もうこれ以上無理をしないで種牡馬入りして欲しい。そして、いつかこの馬の産駒が持てるようになれるぐらい、素敵な大人になりたい。そして、その子供がダービーに出走してくれたら。そう願わずにはいられない。本当にお疲れ様。ザッツザプレンティ、君は一生忘れない馬の1頭です。