三冠達成の現場にて

 朝11時に京都競馬場入りしたが、もうそこはいつもの京都競馬場ではなかった。混雑と興奮の渦。ディープインパクトの存在を気にするなと言われても気にせずにはいられない。そんな空気だった。


 パドックは、常に人が溢れ、レースを観ようとスタンドへ足を運んでも、観えるのは、人の後頭部の山。2階席に上る階段も、上った所で人にぶつかり先には進めず。仕方なく、背伸びをしてレースを見ようとするが、あまりにも無理な体勢で諦め、結局はモニター観戦を余儀なくされることが幾度となくあった。


 3時頃、パドックに先頭の馬が入ってくる瞬間、思わず「きたっ!!」と声に出してしまった。その刹那、周りにいた人のほとんどが携帯電話を上げた。その雰囲気に驚いた。そして、番号通りに馬が出てきているのに、6番の次にディープインパクトが出てこなかった瞬間の「え?」という空気を感じたのは私だけではなかったはずだ。しかし、十数秒後、無事にディープインパクトが姿を現すと、皆の視線は彼に注がれた。


 これまでより、落ち着いている彼の姿をほんの一瞬目にしただけで、私は観戦場所を確保するためにスタンド席へと向かった。


 本場場入場から返し馬の間に、ターフビジョンにて、菊花賞単勝オッズが「1.0倍」に下がったことを示す映像が流れただけで、場内が拍手に包まれた。こんな光景はもちろん初めてである。そして、入場者が13万人を超えたこと、菊花賞レコードであることが表示されると、再び歓声が起こった。


 レース直前、もう身動きの取れないスタンドの各所で、割り込んでいく人と立っている人の間で、小競り合いが起こる。仕方のないこととはいえ、観衆の全員が普段よりテンションが上がっていることを再確認した瞬間だった。


 スタート直前。ファンファーレが流れる。これも今までに聞いたことのないような新聞を叩く音。スタンド前での手拍子は反対する自分も、向こう上面スタートということで一緒に叩いてしまった。


 スタート。普通のスタートに見えた。それターフビジョンが正面から映していたからであり、実際は、全馬の中でも1、2を争う好スタートだった。その正面からのスタートを目にした至る所から「勝った」という声が聞かれた。


 しかし、1週目の3角から4角の下りにかけて、今までにない引っ掛かりを見せて場内はざわつく。スタンド前を過ぎて、1角に入った所で、落ち着いたディープインパクトを見て、場内は安堵感に包まれた。


 空気が再び変わったのは4角手前。アドマイヤジャパンシャドウゲイトがかなり前にいて、ディープインパクトはまだ捕まえに行かない。「もしかして」という空気が辺りを包んだが、それも一瞬。直線に向いた所で、「やっぱりディープだ」と誰もが思った。


 残り100m。ディープインパクトが無敗の三冠馬へと一歩一歩突き進んでいく姿に、ただ人々は見惚れていた。全ての人が心を奪われていた。


 ゴール。一瞬の静寂の後に、誰もが喜びを爆発させ、喜びを共有した。そこには「馬券」という存在は完全に頭からは消えていた。2着と3着の馬が何であったか、誰も覚えていなかった。それだけ、視線が先頭を駆けるディープインパクトに注がれていた。


 ゴール後、2着がアドマイヤジャパンで、3着がローゼンクロイツであることを確認し、一喜一憂を自分を含めた皆がはじめ、周りでは歓声と嘆きが起こっていたが、馬券を取った人も、外した人も、どこか笑顔だった。安堵の表情に包まれていた。


 たった一頭の馬がこれだけの人を感動させ、一つにする現場に立ち会えたことに、幸せを感じた。お金では買えない何かを、ディープインパクトの走りは与えてくれた。


 もはや、ただの馬ではなくなってしまった。国民全ての馬。そういう表現が正しいのかどうかは分からないけれども、そう感じずにはいられない。


 数年後、数十年後、競馬をやり続ける限り、今日の出来事を語ることが出来る。ありふれた、使い古された言葉で表現するしかない自分を悲しく、悔しく思いながらも、「感動をありがとう」と表現することにする。


 今日で三冠物語は終わりを迎え、明日からは古馬や世界との戦いが始まる。ディープインパクトはどのような競馬を見せ、どのような感動を我々に与えてくれるのだろうか。


 シンボリルドルフを語る親父たちに負けない、ディープインパクトという語る権利を我々に与えてくれたことは大きな財産である。「俺は、あの時、京都競馬場ディープインパクトの三冠を観たんだ」と語るオッサンになれる。


 ただ、「ありがとう」という想いを胸に、今日という日に感謝することにしよう。


 ディープインパクト様、おめでとう。そして、ありがとう。