競馬の社会的イメージ

 先日、就職活動の一環でエントリーシート模擬試験なるものを受けた。その中で「大学で学んだ事をお書きください」とあったので、「競馬を通して学ぶメディア・リテラシーと社会」と題し論じた。

 結果からいえば、採点担当官の評価は以下のようなものだった。「文章の組み立て、表現方法、意欲等は高い評価をあげられますが、一般企業向けに提出するエントリーシートとしては題材を変えた方が無難でしょう」。

  • 競馬のイメージ

 日本社会において、競馬が「スポーツ」として認識されていないことを再確認した瞬間だった。ましてや、その文中にも、「競馬=ギャンブル」といった短絡的なイメージではなく、馬産における経済や文化の面から捉えるような視点をファンや一般人に提供するようなマスコミの役割があるはずだ、と書いたにもかかわらずだ。

 採点者を説得出来なかった個人的な文章力のなさも問題ではあるだろうが、やはり、根強く残る競馬へのマイナスイメージを感じた。これが、北海道や地方競馬と密接な地域であれば、また話は変わるのだろうが、一般的なレベルではまだまだ壁は高い。

  • 競馬に関する調査とマスコミの反応

 競馬に関する世論調査内閣府が1978年の4月に行っている。その世論調査を行った目的は「公営競技に対する国民の意識を調査して今後の施策の参考とする」と書かれており、競馬の歴史から見ると、前年1977年はテンポイントトウショウボーイグリーングラスの伝説の有馬記念が行われた年でもある。世間的な背景としては、戦後生まれが人口の半数を突破」「国民の90%が中流意識・70%が幸福感」「1972年の50%から、カラーテレビの普及率90%に」「マイカーが2世帯に1台普及」「ビクターがVHS方式VTR発売」「少年マガジン・チャンピオン・ジャンプが150万部で三つ巴」と、生活に余裕が生まれてきたことを感じさせる。

 公営競技に関する世論調査を見てもらうと一番早いのだが、掻い摘んで説明する。
 競馬場などの足を運んだことがない者は54.0%。
 馬券、馬券等を購入したことがない者が55.9%。
 新しく場外馬券売り場などを増やすことに賛成が6.5%、反対が40.2%。
 反対理由の上位は、ギャンブルは良くないことだからが47.1%、誘惑がふえるからが26.9%。

 内閣府による同様の調査はこれ以降行われていないが、1995年の読売新聞による全国世論調査では薄れる賭け事のイメージと書かれている。
 JRAが調査を行っているらしいが見ることが出来ないので、日本リサーチセンター。それから公営競技・ギャンブルについて書かれた社説等をまとめたサイトを紹介しておく。なお、卒論ではこのあたりの継続調査をしたいと考えている。

 馬券を発売するJRA3連単などの高額馬券を売出し、さらにCMでも「Big time」と一攫千金を謳っている。馬券収入がJRAの基盤であるから当然であるといえば当然である。世界にも類を見ない高額賞金を支えているのも馬券収入である。そのJRAも平成9年をピークに馬券売り上げは減少傾向にある(売り上げの推移)。それでも巨大組織であることはいうまでもない。
 バブルと本来の競馬人口という意味では、現在の3兆円規模が妥当な数字であるような気もする一方で、経済が回復すれば、以前のように4兆円台に再び乗る可能性もなきにしもあらずという楽観的な展望も出来る。

 競馬だけでなくパチンコ、競艇や競輪といった遊戯、競技の発展を文化史の面から捉えてみても、ギャンブル好きは日本人の国民性であるといえる。

 ギャンブルに溺れ犯罪に走る一部の人たちをマスコミが取り上げ、社会的マイナスイメージを作り出している。確かに、そういったケースが存在することも事実である。同時に、それが全てではないような教育、メディア・リテラシーが出来ないだろうか。

 新聞論やテレビメディア論が提示する既存のメディア・リテラシー教育とは違った視点である「競馬」を題材にしたことが、新しい方法であると考えていたが、それ以前の段階のメディア・リテラシーだけでなく、社会リテラシーが日本には育っていないことを再確認した。

  • 未来への展望

 競馬に対する社会の認識はが以前ほどではないとしても、ギャンブルとして根強く残っている。では、それをどうすればよいのだろうか。それを考えて初めて意味がある。

 繰り返し書くことになるが、JRAディープインパクトを通して新規競馬ファンの獲得を目指していることは、一連のタイアップ、マーケティング活動などからも明らかである。そして、我々ファンが出来ることは、単にファンであるだけでなく、「物語」の語り部として競馬に貢献することを提案した。

 それだけで、果たして競馬=ギャンブルのイメージが減少、あるいはなくなるだろうか。社会はそう甘くはないだろう。しかしながら、これは一般人レベルでは力の及びようのない規模の話であり、それを解決するには、やはり「マスコミ」の一面的でない情報提供しかないと思うのである。

 私が考えるマスコミの仕事とは、あくまでも「情報の提供」であって、それを判断するのは「国民一人ひとり」であると考えている。ディープインパクトハルウララを伝えるだけでも視聴率や数字は獲れる。いや、むしろその方が数字が良いかもしれないが、そこで、もう一押し、馬産界や地方競馬の情報を提供し、国民に判断材料を与えることが出来ないだろうか。私は、そうした一面的でない視点の情報の源泉に赴きたい。切り取られた情報の受け手ではなく、切り取られる前の素材に触れてみたい。そして、それを伝えたいと思っているのだ。

 長文、乱文でしたが、お読みいただいてありがとうございました。