京阪杯と僕

 京都最終週で行われる芝1800mの京阪杯が、今週で最後になる。毎年必ず行くG1がないにもかかわらず、この京阪杯だけは97年からずっと競馬場でそのレースを観てきた。調べなくても思い出せる京阪杯の思い出を振り返っていこうと思う。

 皐月賞、ダービーとサニーブライアンに逃げ切られ、菊花賞は超スローをマチカネフクキタルに押し切られ。クラシックでは煮え切らない競馬を続けていたエリモダンディー武豊鞍上で初重賞制覇を飾ったのがこのレースだった。この馬の上がりは36.2。今から振り返ると32秒台の末脚であったように感じられるぐらいキレがあった。「武豊騎乗で重賞を勝ったブライアンズタイム産駒はG1馬になる」。そういった格言も聞かれた時代でもあった。
 年明けの金杯ミッドナイトベットを捕らえ切れなかったが、続く日経新春杯では鮮やかな切れ味を見せ優勝。さぁ今年はこの馬の時代だと思った矢先の骨折。その手術後に腸捻転で急死した。この馬が亡くなった事が僕の京阪杯へ執着心を駆り立てたのかもしれない。
 エリモダンディー。この馬の末脚は忘れない。

 勝ったブラボーグリーンよりも2着のブリリアントロードが印象に残っているレース。この頃から血統論にはまり、それこそ市販されている血統本は全部目を通していた。「軽ハンデのブライアンズタイム産駒」。この後も幾度となく穴を出すブリリアントロードの重賞での最初の穴がこのレースだった。
 ブラボーグリーンも春先から連勝街道を走り、確か幸騎手の初重賞制覇がこの馬だったかな。リボー系は集中期に入ると要注意なんてメモが引き出しの奥から出てきた。3着のレガシーハンター。スペシャルウィーク新馬戦で2着。ジャンポケの馬主・齊藤四方司の当時勝負服が好きで格好良い馬だな〜と思ってみていた。結局重賞は勝てなかったけれど、力のある馬だったと思う。

  • 99年 ロサード

 菊花賞からの短縮組が狙い。ある馬券本にそう書かれていた。そして、金満血統王国で「ロドリゴデトリアーノ」について熱い議論が交わされていた当時。この馬連194.6倍を獲ったことがう嬉しかった。血統で馬券が獲れる。本気でそう信じた時代。

 菊花賞からの短縮馬が強いレース。もうこの頃には定説になっており、ダンシングブレーヴの短縮と血統的にも、鞍上ペリエという点でも狙い目だったジョウテンブレーヴ。前年の覇者ロサードとロドリゴ産駒グレイスナムラ。同じく菊花賞からの短縮エリモブライアンを買った。馬券は当たったものの、グレイスナムラが4着で非常に悔しい思いをした。
 そのグレイスナムラは仔を残すことなくこの世を去ってしまった。京都牝馬Sの末脚は忘れない。

 もう聞き飽きたかもしれないが菊花賞からの短縮馬テンザンセイザが勝利。この馬で思い出すのは春の京都新聞杯テンザンセイザオースミステイヤー馬連を1000円持っていたこと。直線抜け出した2頭で興奮は頂点に達した瞬間エイシンスペンサーが間に入り馬券は紙屑となった。当たっていれば10万を超える配当だっただけに、帰り道は辛かった。
 この01年はもう一つ思い出深いレースがある。京阪杯の次の最終レース。一頭の馬がいた。その馬の名は「ツルマルボーイ」。ダンスインザダーク産駒として2歳時から注目はしていたが、半年振りとなったこのレースを見て、周りの友人達に「この馬はきっと強くなる。絶対に覚えておいた方が良い」と断言した。その半年後、宝塚記念ダンツフレームとの馬連をゲットすることになる。あの時、競馬場にいたからこそ獲れた馬券だった。
 ツルマルボーイの京都条件戦。これも忘れられないレースだ。

  • 02年 サイドワインダー

 58kgで条件戦を勝ち54kgの軽ハンデ上がり馬サイドワインダーと菊花賞帰りの実績馬アドマイヤマックスが骨折明けから3走目。この1点に全てを賭け馬連を1万円持っていた。
 トーホウシデンタップダンスシチー、トレジャー、ビッグゴールドなどを全部切り自信の一点だった。それを打ち破ったのはトニービン産駒の軽ハンデ・ダービーレグノだった。
 痛恨の1-3着。思えばこの頃から1-3着癖が身に付いたのかもしれない。これ以後、ダービーレグノが追っかけ馬として登録されることになる。しかし、馬券を獲れたことはゼロ。相性の悪さは最後まで変わらなかった。札幌記念の後に亡くなったと聞いて、何かが抜け落ちたような気持ちになった。
 先週のマイルCSにサイドワインダーとアドマイヤマックスが出ていたことで、ダービーレグノの苦く、懐かしいを話を思い出した。

 土砂降りの京阪杯。東京でアドマイヤドンフリートストリートダンサーに競り負けるという衝撃を受けた後のレースだった。例年通り菊花賞からの短縮馬ウィータローザを狙うも、極悪馬場でチアズブライトリーがすいすいと先行し、4馬身差圧勝。開いた口が閉じないとはこのことで、茫然自失。単勝が183倍。もう何がなんだかわからなかった。雨の中、京都競馬場の帰り道は非常に寒かったことは覚えている。

 POGエアシェイディグレイトジャーニーがぴったりの条件に出てきたと思い、購入。何と3歳牝馬ダイワエルシエーロに逃げ切られるという波乱。競馬場でも「おいおい、逃がせすぎやで」と隣のおっさんが語りかけてきた。そのおっさんが最終レースで勧めてくれたオメガグレイスが惨敗したことも忘れない。
 結局、3歳馬中心に組んだにもかかわらず。馬券ははずれ。

  • まとめ

 馬券的な良い思いでもあるし、ツルマルボーイのような馬を発掘できた思い出もある。どうして、このレースをこんなにも思い続けたのだろう。やっぱりエリモダンディーの姿に魅せられていたのだろうか。しかし、あの馬はもういない。

 毎年8000頭ぐらいが産まれ中央でデビューし、記憶に残るような馬だと1000頭ぐらいしかいないかもしれない。それでも一頭一頭の思い出とその日の記憶、その頃の記憶がある。

 改めて競馬っていいもんだと思いつつ、そうした思い出の一つである京阪杯がなくなってしまうことが悲しい。でも、それが時代の移り変わりか。

 最後の京阪杯。僕の夢はカンパニーです。