さようなら、ラムタラ
ラムタラに関して興味のある方は、『サラブレッド・ビジネス―ラムタラと日本競馬』文春新書 江面 弘也 (著)を一読されることをちょっとだけお勧め。全編がラムタラって訳ではないので、導入までの北海道の方々のやり取りが少しだけ紹介されている。そして、この本が出版されたのが、ラムタラがデビューした夏。ラムタラ帰国に関して、江面さんのコメントが欲しい。
さて、当のラムタラは14歳。イギリスで再び花咲く可能性は多いにあると思う。初年度産駒だったか、向こうで残してきた産駒は日本よりも走ったように記憶しているので、そこに期待したい。向こうはまだノーザンダンサー系が頑張っているようだから。
このニュースを最初に聞いた感想としては、やはり種牡馬ビジネスが競馬においてはかなり大きなウェイトを占めている、と。ファンにとってではなく、生産者側にとってという意味で。
時を前後して関西テレビではハーツクライ特集としてサンデーサイレンスとトニービン導入の話を流していたが、社台の種牡馬導入の歴史でも当たった馬は決して多くない。たまたまサンデーサイレンスやトニービンが当たったといえる方が正しいのかもしれない。
だから、岡田総帥はロージズインメイを輸入し、アグネスデジタルやステイゴールドを取り込もうとするのかもしれないと感じた。実際にそういう記事を目にしたこともある。
種牡馬を当てると口でいうのは簡単だが、あまりにもリスクが大きい。庶民が1000馬券を当てるぐらいの確率とそのためのリスクを背負っているかもしれない(比較対象が上手くわからない)。だからこそ、そこに夢があり、ドラマがあるのかもしれない。結果として、成功した社台は勝ち組へ。同じ種牡馬を当てた早田牧場(ブライアンズタイムを導入)は勝ち組から一転あっちの世界の人になってしまった。その意味では、競馬は馬券を買うという行為だけがギャンブルなのではなく、生産行為そのものもギャンブルであるといえよう。
論文の下調べの段階で、日本がその昔、日清日露の戦争のために、馬匹改良を行い、その奨励のために日本の競馬が執り行われた。しかし、第二次世界大戦以後は、その馬匹改良(馬産振興)の意味はなくなり、財政確保のための競馬が行われるようになった。
しかし、近年の競馬を考えると、馬産振興は名目上で、完全に大衆娯楽としての競馬と、それを支える馬産地のギャンブルという性格がより強くなってしまったように思う。それは不景気の影響もあるだろうし、JRAが大衆娯楽色を打ち出し、それに成功した結果であるようにも思う。
決して小泉政治の影響だとか馬鹿の一つ覚えみたいに格差論議は用いません。
さて、日本馬の遠征も3度目になり、ダンスインザムード・シーザリオ・アサヒライジングと3年連続の連対。これは快挙だと思う。で、昨年は散々日本馬がアメリカのオークスで勝った!!と騒いでいたマスコミも、実はアメリカンオークスがそう大きなレースではないことに気付いたのか、大人しい反応。外国人騎手であったことと、勝たなかったことも影響していると思うが。
過去2度のアメリカンオークス遠征馬、ダンスとシーザリオは秋成績が振るわなかった。アサヒライジングも順調に使えないようなら、やはり3歳牝馬の夏遠征は駄目だと非難されるだろうし、成功するようなら、牡馬も遠征してみようかという流れになるかもしれない(エアシャカールはキングジョージに持っていった)。
過去の経験を活かすという意味においては、アサヒライジングにはこの秋の踏ん張りこそが求められている役割なのかもしれない。