理想的なリーダー探しキャンペーン

 星野SDが亀田問題についてこう仰ったそうですよ。

あのビックマウスにしてもパフォーマンスにしてもプロの世界ならではのひとつの要素であって、はたからあまりおとなしい常識論や感覚でもってとやかくいうのはどうかとも思うし。星野仙一 オンラインリポートより


 おそらくルーキーのプロ野球選手やら、高校球児がこんな態度だったり言動だったら真っ先に批判しそうな人が何言ってんだか。所詮、畑違いだから好き勝手言うんだろうけど。


 確かに、格闘技やなんかで、試合前に相手を罵倒する姿はK-1でも見られるし、それをマスコミが煽って盛り上げようとする手法もスタンダード。だけど、同じくK-1の表彰式を見れば分かるように、彼らはファイターを尊敬しあい、お互いを称えあっている。そのあたりをマスコミがわざと報じてないのか、亀田にはそれすらもないのか。


 おそらくどっちもどっち。亀田像をわざと作り出してきた陣営の経営戦略もあるだろうし、それに乗っかったであろう亀田家もそうだし、わざと面白くなるように100ある現実から5ぐらいを切り取って映像を作っているマスコミもそう。皆が皆、お互いの美味しいように調理しているだけ。視聴者が文句を言うことも、彼らにとっては注目を浴びるという意味において美味しい。


 星野SDのいう、おとなしい常識論や感覚というのが何を指しているのかがイマイチよくわからんのだけど、若者や日本人こうあるべしという理想像を語る世間か?


 このあたりの世間ズレというのか、大人のいう「理想的な人間像」の揺れ動きがおそらくは子供にとっては不信感を募らせる一因なのだろうと思う。


 良い子の定義が戦後と今では違ってきているのは事実であろうし(社会学・教育学的に見ても)、それら一括りにしたあらゆる情報が高度情報化社会の中で氾濫し、人々は処理できずに、混在したまま受け止めてしまっているのだと思う。


 今年のマスコミ界の流行というか、社会の一つの現象として「あるべきリーダー像」を模索しているように思う。WBCイチロー然り、W杯の中田英寿然り、今回の亀田興毅然り、おそらく総裁戦で話題になる安倍晋三官房長官然り、小泉首相然り。綺麗な形での世界一という「結果」を出したイチローがおそらくは現時点での理想的なリーダーの印象を与えており、中田や亀田はそこに至らず、叩かれる存在。安倍さんはどうなることやら。


 自分という個性を持ちつつ、集団だけでなく、国民全体を鼓舞しつつ、なおかつ結果も伴う。そんなリーダー探しを今年は密かにキャンペーンとして行っているのではと思いつつ、これを書いて思ったのは、トリノ五輪で派手なパフォーマンスをうっかり信じ込んで「スノーボードはメダル間違いなし」と大々的に報じたマスコミや関係者の姿を、今回の亀田騒動で思い出した。


 理想的なリーダーとパフォーマンスが先行する若者達。こうしてみると、若者は常に批判される立場なんだろうなぁ。最近、トリノで唯一金メダルを獲った荒川さんを見ないけれども、彼女はなぜかリーダー像の印象論の枠に入ってこないな。それは個人競技だったからか、あるいは女性だったからか。最も、マスコミがリーダー探しを始めたのがWBCイチローの姿を見てからだというのが理由だろうか。

 競馬に関係のない話してすいませんね。