定年退職を延ばすのではなく…

鶴木遵さんの書かれた『調教師伊藤雄二の確かな目―ウソのない競馬を教えよう』(2005 ベストセラーズ)を書店で読んでいて、日本競馬の新しい形が出来ていく可能性を考えた。


来年定年を迎える瀬戸口調教師や伊藤雄二調教師の活躍や近年の傾向から調教師の定年退職制度を先延ばししてはどうかという議論が先頃噴出した。→スポーツニッポン関連記事


勝ち組調教師達には、辞めてもらうのはもったいないから続けてもらった方が競馬界のために良いということが一つで、もう一つは実力主義の競馬界で定年退職という制度はおかしいのではないか?というもの。


調教師は免許制で人数も大体変化せず(辞める人と新規開業を調整し)、馬房数や厩舎が抱えられる馬の数にも上限を設けて、ある枠内で限られた競争原理を働かせようとしている点は、完全に競争原理を働かせているとは言いがたい。森秀行調教師はそのあたりをむしろ恵まれた制度だと、自身の著書『最強の競馬論』(2003 講談社)の中で述べている。


中央競馬では出走するレースの10日前(初出走場合は15日前)までに管轄内の厩舎に入厩させることが義務付けられている。 これを内厩制度という。

 一方で、「外厩制度」は競馬場の厩舎じゃなく、調教施設を備えた牧場やトレーニングセンターで管理・調教の全てを行い、レース当日、牧場から直接、馬を輸送し出走させること。

 日本において、内厩制度が確立したのは、ヨーロッパのようにオーナーステイブルを設置するような環境になかったこと。及び、公正競馬の確保のために、主催者の管理下で調教を行うことを目的としていた。


 今回この本を読んで考えたのは、そうした制度上の問題ではなくて、定年制度を維持しつつも、定年を迎える調教師にやる気があるのならば、短期放牧先の牧場や育成場、あるいは外厩制度を利用している牧場の調教師としてその辣腕を振るうということが、可能である背景はある。近年のように、施設の充実した短期放牧先である程度乗り込んで、トレセンは最終追い切りのためだけに存在するとするならば、免許を持つ調教師の役割は名義上のモノだけになり、調教は他の施設でせっせとこなす。成績不振の厩舎と引退調教師が提携し、そのパイプラインを維持したまま、そこに馬を預ける。


 外厩制度を認めないのなら、実質的に調教師は別の人だという形が回転しだすと、JRAとしても外厩制度を認めねばならないようになるのだろうが、そこまで行くには相当の年月と覚悟が必要であろうし、トレセンのような調教施設で一斉に調教を行うというのは競馬を盛り上げるために必要なマスコミへの情報提供の簡易化という面もあるだろう。


 欧米と違って、綿密な予想を求める日本人の気質は独特で、それは新聞を代表とするマス・メディアの情報によって支えられていた部分も多いにある。ただでさえ、昨今の出版不況で紙面が売れない状況が続いているのに、トレセン外で調教されたんじゃ取材費もかさむ。マスコミともちつ、もたれつつの関係を築いてきたJRAや関係者にとって、そうした外厩制度主体の競馬というのは望まないものかもしれない。


 定年退職しても、調教師をやりたいという人がどれくらいいるのかはさておき、これだけ育成場や短期放牧などの外部施設での調教が重要視される時代になってくれば、否応なしにも、それを利用しようとする経営者が出てきても不思議ではないと思うのだが。


 内厩制度、外厩制度、地方と中央、騎手の免許問題、生産地の格差。これに限らず日本の競馬界の抱える問題はまだまだ数多くある。