あくまで思いつきとしての話

 競馬人気の衰退(一時期に比べて)は、競馬が大衆化したことによって起きたのではないでしょうか。


 卒論の発表をした際にこんな質問があったようななかったような。まぁ競馬を考えるために、ズブといっては失礼だけど、ギャンブルを全くしないような人の声を聞けるチャンスというのはそうない訳で。大学ってのは、哲学や経済や政治についてもっと熱く語るべき場だと思っていたし、それを望んでいた場であり、現実のそういった刺激を求めていない学生の多さに失望をしたが、それもまた人生であると悟れたことが一つの収穫でもあり。


 ただ、人間として幅が出た、あるいは個人的な成長という意味においては、そうした人に対して多少軽んじて見ていた面を、そういう人もいるんだと受け入れられたこと。政治について語れない人がファッションについて語っている。オーストラリアの場所を知らない女子学生が、僕の知らない世界の話を語ってくれた時、別々のフィールドをそれぞれが持つことの意味を感じたし、それが「世界」なんだと思った。


 話を戻して。競馬、野球、サッカー…なんかもうあらゆるスポーツというスポーツが衰退、言い換えれば人気の低迷に喘いでいるようなイメージ。それらを楽しんでいた人々はどこへ行ってしまったのか。かといって、外で遊ぶ人も劇的に増えたとはいえない(経済的な背景はあったとしても)。


 室内の過ごし方、間接的なメディアであるテレビの家庭内での主役としての役割が人々のスポーツへの滾(たぎ)る想いを失わせたのか?
 競馬に例えると、テレビの特徴、別の場所にいても現場の状況を知ることが出来る。家でレースを観戦するということ。それが、面白くなくならせた要因なのか? それに関連するコメントはこんなの。

以前競馬場に行きましたが、テレビで見ているよりもやはり楽しくて買うつもりもなかった馬券をしっかり買ってしまった経験があります。やはり、実際に競馬場に行っているのとネットなどで賭けるのとでは心理的に違うのかなぁとその時に思いました。その場(競馬場)の雰囲気というのもかなり重要なようですね。


 テレビがそうしたスポーツを面白くなくさせたというよりも、それを題材として扱うテレビ局、制作側がつまらない演出を増やしすぎたために、観衆が離れていったというのも一つあるかもしれないと、先日のボクシングをみて考えてみたり。


 競馬でいえば、PATの登場によって競馬参加者は増えているものの、そうした現場に行かない人の増加は、人気低迷に一役買ってしまうことになりつつあるのか。


 オグリキャップトウカイテイオーの勝った有馬記念と昨年のディープインパクトの三冠達成の菊花賞は、雰囲気が全然違う。ナリタブライアン世代から見れば、どうしてあんなに「昭和な空気」が漂っているのか理解出来ない。ここ10年でガラリと変わってしまった空気。


 そこで最初に戻って。大衆化という意味は、女性(子供)の参加が必要な要素であるのか。スポーツにおいて大衆化と高度化は同時に目指す目標でありながら、関係書を読むと、何やら対義語のように、どんどん離れて行ってしまっている。
 ファン増加は、JRAもイメージ改革に成功したように、女性やライト層を獲得することによって達成され、大衆化を果たしたのだろうが、それによって、今でも衰退したと感じる雰囲気、競馬場にあった独特の「昭和の空気」をも一緒に消し去ってしまったのか。その昭和の空気がスポーツの衰退のイメージなのか。


 とするならば、「昭和の空気」の残された数少ない場所は、そうした昭和ファンの棲家となるのかもしれないと安易に推測したものの、全国で次々に潰れていく競馬場の現状を考えると、ファンが求めていたのは、「昭和の空気」ではなかったのかとも思う。


 単なるノスタルジック。そう言えるのかもしれないけれど、今でも競馬ファンにとっての最強馬がシンザンであり、ルドルフであるような某ちゃんねるでのスレの立ち方を見ていると、平成生まれも昭和に対する「畏敬の念」とは違うが、何か「凄かった、強かった」イメージを知らず知らずの間に、心の中に刻み込んでいる。それは、競馬に限らず、巨人ファンの自分にとっては、桑田・斉藤・槙原世代。篠塚や吉村、原、クロマティが活躍したあの頃が、とても懐かしく、そして強く感じられてしまう。


 その時代をそんなに知らないのに、「なぜあの頃は良かった感」を抱いてしまうのか。
 昭和ギリギリ生まれはそれを抱くのに、平成生まれは「そんなの大したことねーよ」と思っていやしないか?という想い。


 二十世紀型競馬の終焉と二十一世紀への展望の鍵は、経済的不況による衰退ではなく、ノスタルジックの成立過程と要因を探る辺りにあるのかな〜なんて思ってみました。


 卒論で悩んでた事を雑文として書いただけなんで、あくまで仮定の話ばっかです。そういうことがあるかのしれないなぁて。昭和って激動の時代だったんだと、小泉首相靖国行くかもしれない明日を思いながら書きました。


 最初に書こうと思ってた札幌1500mの話は明日にでも。