雑記

 自転車で寒空の下を走りながら、何気に考え事をしていた。
 先週のマイルCSでいえば、マイネルスケルツィはロベルト系が良くないということで切り、マスカシェンクも母父ミスプロ系(ザフォニック)が良くないということで切った。それなのに、レースが終わった後に「善臣が鞍上でなけりゃなぁ」とか「やっぱ福永は買うより切ってこそだな」とか考えていたんだけれど、それってちょっと違う気がした。


 基本的には血統の傾向でレースを眺めて、そこからレースの質だとか展開、馬の個性なんかを引っ張り出していくのが個人的な予想法であるけれど、そこにおいて、例えばマイネルスケルツィが+30kgで負けたとして、マイネルスケルツィは明らかに太目だったから買えなかったとレース後に感想を書いたとする。だけれど、レース前の時点では「父ロベルト系と母父ミスプロ系が当該レースに相性が悪い」ということで切っていたはず。


 血統論のみでいえば、+30kgでも40kgでも-50kgでも馬券圏内に来るものは来るし、来ないものは来ないというように取り出さなければならないんじゃないかということに気付いた。それは、ディープインパクトの取捨に関してもいえることで、ジャパンカップが行われる東京芝2400mの舞台はサンデーサイレンス産駒が強く、それでいてヘイルトゥリーズン系が強い。


 薬物云々は後付けというか関係のない要因であって、それがあってもなくても来る時は来るという予想スタイルで望む方がいいのだろうかと思いつつ、でも、それは優柔不断な自分にとって不可能なことだろうと。別にディープインパクトでなくてもハーツクライでもドリームパスポートでもユキノサンロイヤルでも補えるというか成り立つ方式であり。


 だから、書き方としてマイネルスケルツィの場合であれば「血統的に合わない条件でありながら、最後にもう一度盛り返し4着に雪崩れ込んだことは評価出来る。ただ、圏内にこれないということは、やはり血統的な何かがあるのか」とまとめるべきなんだろう。
 それでいて、シンボリグランに関しても、「ヘイルトゥリーズン系が得意なレースで唯一突っ込んできたことは評価出来る。気性面に成長が見られるので今なら1200mに拘らなくてもいいか」というような感想が書ける。


 何でもかんでも、レースを見てそれを単なる感想として書いたのでは、事前に予想したことが無意味になってしまうのではないか。そんな事を学校の帰り道で考えていたら、警察官に職質されたというオチ(自転車のチェック、もちろん今回は何事もなく)。