そこに競馬があれば僕らは繋がっていられる

 昨日は大学の卒業式。就職活動で妥協しなかった自分は、四年生をもう一度やることになっているので、同期の友人達の門出を見送り、また、一時の別れと再会の約束をしてきた。


 競馬によってリンクしている友人がたくさん出来た。自慢するわけではないけれど、その輪の中心には常に自分が居たと思う。競馬でしか繋がっていない関係であっても、そこに馬がいて、レースがあれば、僕らは繋がっているのだと思う。


 ネオユニヴァースが勝つよと言って単勝を買ってあげた。その友人は、数百人いる中の大学の教室で偶然にも隣の席だった。彼は競馬が好きになったようだ。
 予想が被ると、いつも外れる友人がいる。僕が現実の世界で初めて競馬について深く話せる男だった。彼は府中の近くで、これからも馬を追い続けるだろう。
 ドンクールエンシェントヒルを追い掛けていた男がいる。その友人が好きな馬を応援する姿を見て、自分も馬券の取捨を超えた競走馬への愛を再確認した。お金だけが競馬じゃない。それを教えてくれた。
 競馬場もウインズもない町からきた男たちがいる。彼らには僕が競馬を教えた。そんな彼らがウイニングポストギャロップレーサーといったゲームに夢中になる姿に、初めてダービースタリオンをやった頃を思い出した。初心に帰ったようだった。
 あの馬の眼が綺麗。そういって単勝100円を握り締める女の子がいた。そう、それも競馬の魅力なんだと気付かされた。
 ディープインパクト単勝にぶち込む男がいた。僕にはできない買い方だった。
 初めての会話が競馬だった男がいる。スティルインラブが勝った桜花賞のことだ。一緒にウインズで捕まった。それは二人だけしか共有できない思い出だ。


 そうした友人のまた友人と競馬場で一緒になることも多かった。僕らの輪はそうやって少しずつ少しずつ広がっていった。それは、そこに競馬があったからだ。


 賭けるだけが競馬ではなく、観ているだけが競馬でもない。競走馬に携わっていなければ、主催者でなければならないこともない。離れ離れになって、疎遠になったとしても、世界のどこかで競馬があれば、僕らは繋がっているのだ。


 競馬をやめてもいいと思っていた。だけど、それは間違っていた。きっと僕にとって、競馬とは僕の存在と生きる意味とイコールで結ばれている。勘違いでも、馬鹿みたいでも。


 昨日で全てが終わったわけではなく、これからも僕らのライフは続いていく。競馬っていいもんですね。


 皆、卒業おめでとう。そして、ありがとうとこれからもよろしく。次の再会は、どこかの競馬場で!!!!!!!!(笑)


 「りあるの競馬日記」はこれからも続きます!!!