府中の魔物はどこへ消えた

  • 2005年・秋

 一番人気ゼンノロブロイ。昨年の秋のG1シリーズ完全制覇。日本競馬至上至上たった2頭(テイエムオペラオーゼンノロブロイ)しかいない記録を持つ同馬が、伏兵ヘヴンリーロマンスに内からすくわれた瞬間、「府中の魔物」という言葉を思い出した。

  • 連敗記録

 ここ数年、平穏に収まる傾向の多かった天皇賞・秋。そのおかげ(?)というのか、1987年のニッポーテイオーの勝利以来、2000年のテイエムオペラオーの勝利まで12年間1番人気馬が飛び続けた記憶が人々の脳裏から薄らいでいるのではないかと感じた。そうテイエムオペラオーは勝つまでは「一番人気だから消し」という言葉まで囁かれていた。

  • 魔物の餌食

 様々な名馬が府中の魔物の餌食となってきた。有名な所としては、91年メジロマックイーンの18着降着。92年トウカイテイオーが激流に飲み込まれ惨敗。94年連対を外したことのなかったビワハヤヒデがレース中の故障で5着に敗れる。そして98年サイレンススズカの故障。これらが有名ではあるが、他にも96年にサクラローレルが直線で不利を受けて負けたり、99年セイウンスカイがゲート入りを極端に嫌がるなどのケースもあった。

 その呪われた記録を打ち破ったのが、2000年を無敗で終えたテイエムオペラオーである。当時5連勝で天皇賞・秋を迎えたオペラオーの単勝オッズ2.4倍は2000年の8連勝の中で最も配当の高いものとなった。人々は、ビワハヤヒデサイレンススズカを葬り去った「府中の魔物」に恐れを抱いていたのである。しかし、テイエムオペラオーは、いとも簡単に直線抜け出し、あっさりとこの記録を打ち破ってしまった。

  • 2001年以後

 2000年に記録を破ったテイエムオペラオーは、翌年も一番人気に支持されたが、白井調教師の名言「外ラチに向かって追ってこい」が残るアグネスデジタルの劇走によって、敗れてしまう。2001年も1番人気に押された牝馬テイエムオーシャンが敗れる。そして、2002年、1番人気に支持されたのは、2001年の覇者シンボリクリスエスであった。

 テイエムオペラオーが連敗記録を止めてからも自身、そしてテイエムオーシャンと連敗が続き、シンボリクリスエス宝塚記念以来の競馬で、しかも不利と言われる府中の2000mの大外枠8枠18番に収まった。その枠順の決定に、府中の魔物が再び姿を現したかのように思えた。


 しかしながら、レースは意外な展開を見せる。後藤騎手のローエングリン吉田豊騎手のゴーステディがまさかの大暴走。1000m通過が何と56.9秒という超Hペースを演出してしまう。それはサイレンススズカが最後に刻んだ57.4秒を上回るものであった。これを道中8番手で追走したシンボリクリスエスは縦長になったこともあり、大外枠の影響など微塵も感じさせない、上がり3F33.6という末脚を駆使し、2着のツルマルボーイ以下に圧勝した。

 そのシンボリクリスエスの後を引き継いだのがゼンノロブロイである。2004年の天皇賞・秋。彼はその背中にフランス人ジョッキー、オリビエ・ペリエの乗せ、秋の盾に挑み、快勝することになる。しかし、その直後、2着、3着にはダンスインザムードアドマイヤグルーヴの姿があった。

  • 再び2005年

 そして、連覇に挑んだゼンノロブロイに襲い掛かったのは、またも牝馬ヘヴンリーロマンスであった。そして、3着にはまたもダンスインザムード、そして5着にもスイープトウショウ牝馬の名前がある。


 府中の魔物は、その力をフルに発揮し、一番人気を連から外すことはなくなったが、その代わりに牝馬を連れてくるようになった。2年連続の大波乱の影に府中の魔物と牝馬の姿がある。「女好きの府中の魔物」。そんなイメージは想像したくない。2000年を期に魔物の中の人でも変わってしまったのであろうか。


 くれぐれも忘れないように、内枠の「牝馬に注意」と脳裏に焼き付けておきたい。